明日という字は明るい日と書くんだよ〜当たり前の日常が奇跡の日々なんだ〜

45年間 好き放題生きてきた人間が長年の夢だった飲食店をオープンしたがわずか一年半で立ち退きにあったのをキッカケにいままでの人生を振り返ります

金本肇を作った人を作った人

 

 


金本良恵

 


僕の祖母です。

知っている人もいるといると思うんですが

僕は在日三世です(今は帰化をして戸籍上は日本人です)

 


祖母は普段は日本語だけど怒るとハングル語が混じる人でした。結構、性格もきつい。

同居していたのでおかんもだいぶ苦労したみたいです。

 


でも僕はめちゃくちゃ可愛がられました。

両親が共働きだったので、祖母と過ごす時間がめちゃくちゃ長かったし、想い出もたくさんあります。おかんが家を出て行ってからは夕食の準備も祖母がやってくれました。

 


高校卒業して就職した時スーツは祖母が3着も買ってくれたし、父との関係があまりうまくいってなくて、すぐに一人暮らしをしたんですが炊飯器を祖母が買ってくれました。

 


引っ越しの朝『これで晩御飯のおかずで文句言う奴居なくなるから楽になるな』と冗談っぽく言う僕に涙をいっぱいためながら『そんなことあるか』って寂しそうに呟いたのが今でも忘れない。

 


脳梗塞で亡くなったのですが、第一発見者は普段実家に普段寄り付かない僕でした。

 


発見した時はもう手遅れで意識が戻る事はなかったので祖母と交わした最期の言葉は覚えてないけど愚痴や文句じゃなかったらいいなー

 


ほんと、こん時はずっと泣きっぱなしだったな。