明日という字は明るい日と書くんだよ〜当たり前の日常が奇跡の日々なんだ〜

45年間 好き放題生きてきた人間が長年の夢だった飲食店をオープンしたがわずか一年半で立ち退きにあったのをキッカケにいままでの人生を振り返ります

演劇と恋愛と時々仕事 その5

厳しくも楽しい劇団員生活。

座長をやってたバイトの先輩が結構器用な人で結構、客演や養成所の臨時講師とかもやってた。そこの養成所にはいまをときめく大女優が小学生の時に通っていて実際レッスンとかもしていたらしい。

 


ただ、先輩はあまり社交的な方ではなく他劇団との飲み会交流とかはしなかったし、結構思ったこともはっきり言う方だったので誤解されることも多かった。

 


そんな時、神戸アートビレッジセンターの共催公公演があり、うちの劇団も参加することに

 


全部で4劇団くらい出ていたと思う。

 


うちは生バンドも入れて結構セットも組んで予算もかけた。

 


僕は主役、セリフもめちゃくちゃある

一部の地元の友達にはいまだに『ヤン君』って呼ばれるんやけどその時の役めい『ヤン・グライオン』から、来てる。

 


ただこの舞台で僕は自分の才能の限界を知り裏方に回ることに。制作スタッフとして劇団を支えることに

 


確か、この頃に脚本を書いていたバイトの先輩が上京。座長の先輩にすごい負担がかかるように

 


この頃から少しずつ劇団が違う方に向かっていってたような気がする